私は働き始めてから9年目の内科医師である。外来や入院診療において患者様やご家族の意思決定を毎日のように迫っており、精神的な負荷が大きい仕事だと思いながら日々業務にあたっている。そんな中での私の気持ちに関して、綴りたいと思う。
ある入院患者様の病状説明を行い、今後の行き先に関しての話し合いをすることになる。自宅への退院をご家族が希望していたにもかかわらず、それを我々が止めて(それは医学的には正しいと思える根拠があってのことだが)介護施設へ入所した方が良いと提案した。自宅へ戻った場合や施設へ入ることで起こりえる様々な可能性に関して説明を行い、最終的には施設への入所を調整することになったとする。
この場面は、言い方に多少の語弊があると思うが、ご家族が意思や希望を曲げて我々医療者(主に私の裁量)側の主張に屈したという図になろうかと思う。
私は幾度となくこのような場面を経験しているのだが、何度経験しても慣れることがない。説明の仕方は小慣れてしまっているのが正直なところではあるが、気持ちとしては申し訳なさのような後ろめたさが話している最中に常にある状態である。それは提示した選択肢が本当に合っているのか、ご家族の思いを完全に無視しているのではないか(あるいは思いを引き出せていないのではないか)、あるいは説明の仕方に不備がなかったかということを脳内でフィードバックしながら話しているからだ。合っているかどうかという問いに正解はなく個々の事例で最善と思われることは全く異なるのだろうが、そこに病院の体制などの環境要因が影響している場合も多く、一人の医師としての限界と無力感を感じることにつながっている。チーム医療の提供が当たり前になっている今の世の中ではあるが、こと僻地に関してはそれが十分機能しているとは言えず、提供できる医療のレベルが低いと言わざるを得ないだろう。北海道はその面積や交通網の関係から住んでいる地域間での医療の差は大きい。実際、北海道以外の地域に関しても同様のことは当たり前にあるのだとは思うので、何も特別なことではないのだろうが。
徒然なるままに思いを書いてしまったが、結論としては患者様やご家族の希望がかなえられない時には、私は無力感を感じこの地域において持続可能な医療の提供が難しいのではないかと思ってしまうということである。少なくとも一個人としては僻地で勤務し続けることはできないと思う。それは体力的な部分もそうだが、精神的なすり減りが大きいと感じるからである。長年僻地の医療を支えてくださっている医師の方々には頭が上がらない。心から尊敬し、今後も支え続けていただきたいと思う。それに併行して、私のような考えの医師ではなく、次世代の僻地を支える医師の誕生を願うばかりである。